般若心経について
般若心経は、「色即是空(しきそくぜくう)」、つまりこの世のすべてのものは結局「空(くう)」であり、それがこの世の真実である、ということをしめしたお経であると言われます。
ところで、この世の真実であると言われる「空(くう)」とは、いわゆる「空(から)っぽ」とか「空(むな)しい」とか「虚空(こくう)」というものとはちょっと性質が違うもののように思われます。
般若心経の「空(くう)」は、私たちの頭上に無限に広がる「大空(おおぞら)」にたとえられます。
「大空(おおぞら)」は、確かに「空(から)っぽ」です。だからといって何にもないかというと、そうではありません。
雲が流れる。風がわたる。飛行機が飛ぶ。鳥が遊ぶ。虹がかかる。太陽が昇る。「空っぽ」だからこそ、何でもうけ入れることができるのです。このことを先人は次のように詠っています。
無一物中無尽蔵 花あり月あり山河あり
(むいちもつちゅう むじんぞう はなあり つきあり さんがあり)
また、「大空」には執着がありません。「私はうろこ雲は好きだが、入道雲はかんべんして欲しい」とか「虹が好きだからしばらく映しておこう」というえり好みはありません。あるがままをそのままに受け入れ、あとかたをとどめません。 本来、私たちの心もこの「大空」のようなものであるといえます。 私たちは、本来空、何にもないところからこの世にやってきて、喜び、悲しみ、様々な経験をします。そして、やがて力尽きると、また空に、大いなる命に還ってゆきます。 それがこの世の真実であります。 最も大切なことは、本来空(くう)なるところからこの世に生をうけ、山をみいだし、花をみいだし、人々と喜び、悲しみを分かち合えるということです。 これはまさに奇跡であります。その真実に気付いた時、私たちは生かされていることに感謝せずにはいられません。それが般若心経の真髄でありましょう。 このようにみると、般若心経というお経は、今、生きている私たちに向けられたお経であるということができます。
(寺報『聖福寺だより』より抜粋)