話りつくす山雲海月の情(かたりつくす さんうんかいげつのじょう)
1999年の9月5日から1ヶ月間、東西霊性交流でベルギーの修道院に行ってまいりました。東西霊性交流というのは、私たち禅僧とキリスト教の修道士との交流で、2年に一度おこなわれるものです。今回は、日本から5人の僧侶が参加しました。
私がお世話になったセント・シクタス修道院は、1831年の設立以来、未だかつてアジアの僧が足を踏み入れたことがありませんでした。そのような場所で修道士と同じ生活を体験させて頂いたことは貴重なことでした。28歳から88歳までの28名の修道士が生活を共にしていました。
修道士になるためには、
1、お金を持たない、2、結婚をしない、3、一生その修道院から外に出ない、
などの誓いをたてなければなりません。特に一生修道院から出ない、という誓願は若い修道士にとっては厳しいものであると思いました。
修道院には建物の他に広大な農地、牧草地、森等がありますが、四方を壁や柵で囲われており、完全に独立した共同体を形成していました。
院内に面会室があり、そこで訪れた家族と会うことはできますが、実家に帰ることができるのは両親が亡くなった時だけということでした。もちろん托鉢もないので、街に出ることもありません。
修道士達はそのようにして神に、キリストに自分の生涯をささげるのです。まさに俗世を離れた隠遁(いんとん)生活を送ります。
この点が、時にはむしろ積極的に世にでて、人々と手をとって共に生きる我々禅僧との大きな違いだといえそうです。
ヨーロッパは個人主義と聞いていましたが、個室はなく、修道院長も共に大部屋で寝ます。寝室は大部屋で、禅堂を思わせるつくりでした。薄い仕切りがありますが一つ一つの部屋は非常に狭く、常に暗いので寝るためだけの場所でした。共同生活が困難な年老いた修道士には個室がありました。
日々の生活は、3時半のお祈りから始まります。一日に7回教会に集まってお祈りをします。その合間に食事、労働、勉強の時間があり、自由な時間はほとんどありませんでした。そこに日本の僧堂と同様の、「無我」の境地に到るための修行形態をみることができました。
世間の動向を知るために新聞は読めますがテレビはなく、年に数回、映画のビデオを見ることができるだけ、ということでした。それでも院内を流れる雰囲気は明るいものでした。
霊性交流に参加するに際して、私は多少修道院について、修道士の誓願などについて勉強しましたが、紙の上の文字では分からない、体験して初めて分かったことがありました。
それは、修道院には「愛」があったことです。修道士達がキリストに捧げる愛と同じ愛を、客人である私にも向けてくれていることを感じました。一人の修道士が「神は愛である。それは最も大事なことだ。」と教えてくれたことを今、思い出しています。
思えばお釈迦様は、「今この三界はみな我が家であり、そこに住む生きとし生けるものはみな我が子である」とおっしゃられました。その大いなるまなこでこの世を見たとき、そこから慈悲、愛が生じる、そしてそのまなこは我々一人一人が本来持っているものだ、と気づくのが私たちの宗教です。他の宗教に触れることによって、図らずも自分の帰依する宗教を再確認することとなりました。
修道士たちは、ほぼ毎日つきっきりで異教徒の私にいろんなことを教えてくれました。『すべて自分にしてもらいたいことは、あなた方もそのように人々にせよ。』『汝の隣人を自らの如く愛せよ。』という言葉が聖書にあります。すべての修道士は、これらの言葉を机上の空論にすることなく、私に実践してくれました。
―手を把(と)って共に行く―
キリスト教の修道士と日本の僧侶との比較の中で「修道院に比べて、現在日本のすべての仏教は在家仏教になりつつある」という批判を耳にすることがあります。しかし、在家の方々に近いからこそできることがあると私は思います。
「下化衆生(げけしゅじょう)、把手共行(はしゅきょうこう)」の大願心を持って、この空華なる現世にあって人々と万行を修していく。人々と共に暮らしているからこそ「一切衆生と寝つ起きつ」することができるのです。それが禅僧本来の面目であることを忘れてはなりません。
と同時に、我が臨済禅師は「一人は孤峰頂上にあって出身の路(みち)なく、一人は十字街頭にあって亦向背(こうはい)なし」とおっしゃられております。このことが真に実現されるには一方で、修道士の孤峰頂上に身をおく、凄絶なまでの菩提を求める気概が必要であることも新たにした次第です。
―21世紀の宗教―
私は、今回の交流に参加するにあたり、キリスト教であれ仏教であれ、宗教であるならば究極的真理はただ一つであるはずである、そうでなければならないという確信のもと、なんとかして禅仏教とキリスト教の共通点を見出そうとしていました。
しかし、実際に交流を終えた今、ある達観に到りました。思えば、我々は4千年、5千年を越える歴史が違います。築いてきた文化、習慣が違います。民族、風土が違います。帰依する宗教が違うのは当たり前だという思いに到ったのです。
我々は、共通の真理を求めて試行錯誤することも大事ですが、互いの立場をそのままの姿で認めつつ、互いが互いをひきたてあう道を歩むことも肝要であると会得いたしました。
禅門には「山雲海月(さんうんかいげつ)の情」という言葉があります。「山と雲」「海と月」のまごころという意味です。
山はそれだけでも美しく、偉大です。雲はそれだけでも幽玄であり、妙なる深さを持ちます。その偉大な山に幽玄な雲がかかることにより、その光景はさらに趣を増します。
同様に、海はそれだけでも広大で、無限の深さを持ちます。しかし、その水面に月が浮かぶことで、より一層趣深いものとなるのです。
全く性質が違うそれらが出会うことにより、山は山の性質を失わず、雲は雲そのままの姿で、互いが互いをひきたてあってさらに高次元に昇華されていく。自然の妙がそこにあります。
そのように、互いの立場をそのままの姿で認めつつ、互いを尊敬しつつ高めあっていく、それが21世紀の宗教ではないでしょうか。
そしてそれは異なる宗教間においていえるだけでなく、もっと身近な、私たちをとりまく人間関係にも同じことがいえると思います。隣にいる人と自分とは立場が違う、生きてきた人生が違うのですから考え方が違うのは当たり前のことです。
その互いの立場をそのままの姿で認めつつ、互いを尊敬しつつ高めあっていく、それが私たち仏教徒の生き方といえるのではないでしょうか。それは何の準備も知識もいらない、ただ今、この瞬間からできることであります。
(花園大学発行『ねんげ』第20号より)