熊野曼陀羅 (くまのまんだら)三十三霊場

〜本当の自分を探しに〜

 「物の時代は終わった、これからは心の時代である」と言われて久しくなります。しかし、その一方、おびただしい外界の情報の洪水に呑み込まれ、自己の主体というものを見失っている人々が多いこともまた事実です。
 情報化社会に与えられた便利で真新しい世界を眺めているうちに、いつの間にやら肉体は年をとってしまった。精神的な成長を見ずに、自己を取り巻く魅惑的な世界に関心をもってひきずられているうちに、気付いたら年老いてしまっていた。そんなことが起こりうる時代です。
 物が豊かになって何でも手に入ります。遊びに行くところもいくらでもあります。着るものもあります。毎日、買い物だ、おいしいものだと追い求め、快楽・快適な世界に没入しているうちに、ともすれば自己を養うことを忘れてしまいがちです。
 現代は、乗り物でも、情報でも、流行でも、とにかく「早い」ものに価値が見出されています。その行き着く先はどこにあるでしょうか。私たちは、今一度、じっくりと足元をみつめ、円満なる人格を形成すべき時に来ているといえましょう。
 
 山に降った雨が大地に染み込み、大地は木を育て、木は山を作り、山は虫や鳥といった命ある者の営みを支え、そしてまた雨を降らす。長い年月の間に、個々の命はその終わりを迎えようとも、次の世代へと自らの命を伝え、その命の連鎖は今もなお続いています。
 日々の喧噪から離れて、熊野の奥深くに古より脈々と受け継がれている自然の命の息吹を感じるとき、自分もまた、その大いなる命のひとつであることに気付かされるでしょう。
木には木の、虫には虫の各々の役目を持って、無心にひたすらに生きています。たくさんの命の繋がりのその先に、今の自分が存在していることを思うとき、自分はどう生きるべきか、なにを成すべきか、静かに内面を見つめ直すことができるのではないでしょうか。
 平安の昔より今に伝わる熊野信仰。熊野の神は、“大自然”そのものでありました。
 熊野の自然に触れた時、思い起こされる詩があります。
 
 渓声すなわち是れ広長舌、
   山色豈に清浄心にあらざらんや
 
  〜川の流れる音は神や仏の声であり、
         山の緑は神や仏の姿です〜

 
 谷川のせせらぎの音が、すなわち神や仏の途切れることのない親切なご説法であると言うことができます。山の青々とした緑の色、その姿が、すなわち神や仏のお姿にほかならないと言うことができます。これは、一人一人が実際に体験して感じ取っていただく外ありません。
 幸いにして、熊野には、神や仏が住む大自然があります。草や木が、そのままの姿で私たちの心を安らぎに導いてくれます。
 本当の自分を探しに、熊野曼陀羅霊場へおいでになりませんか。
熊野曼陀羅 第三十三番  聖福寺 住職
  関守研悟 合掌
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